プロフィール

つっちー

主筆:つっちー
九州方面某田舎在住。
三十路男。偏屈。理屈屋。
人生ザッピング。
最近、妻に逃げられました(マジ)。

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誰がその子を殺したか?・・・(悲しい出来事、再び)
二度目である。友人の子供が亡くなった。年齢10歳。残念でならない。去年も一人、命を落としている。今回も喘息の発作で亡くなった。前回も同様だ。アレルギーとか、喘息とか、昔からあった病気ではあるのだけれども、近頃は発生件数が異常に多い気がする。友人達の子供でも、十人の内、二、三人とか。もっと多いくらいの子がなにがしかのアレルギー疾患を持っている。「かわいそうだな」と思う。小さな子供には甘い物が欠かせないし、お菓子が好きな子がほとんどだろうけれど、玉子アレルギーの子は通常のケーキを食べる事が出来ない。小麦粉アレルギーの子に至っては、パンや市販の菓子類も食べる事が出来ない。食べる事は生活の楽しみの内の重要な要素を占めていると思う。「食べるために生きている」とは言わないが、「食べなければ生きては行けぬ」のは真理であり、必然が楽しめないどころか、苦痛になってしまうのでは辛かろうと思う。「環境が悪いのだ」と学者達が言うけれど、その状況の一端を担っていたのは自分たちでもある事は誰も言い出さない。

亡くなった友人の子供もまた、喘息だけでなく、食物アレルギーの類もいくつか持っていた。「楽しい事がこれから沢山待っていただろうに」と思う。中学、高校と進んで行く内には、恋人も出来るだろうし、結婚し、家庭を持ち・・・とまだまだ先の長い人生が彼にはあったはずなのにその楽しみの半分も体験することなく、亡くなってしまった。「窮屈で生き難い生活であったろうな」と年に数度しか会わぬ私ですら思う。

友人は長距離ドライバーである。この日、彼は、大阪から帰り荷を積んで帰ってきている時であったという。奥さんと子供だけで家に居たらしい。発作を確認し、いつもと様子が違う事を感じた奥さんは救急車を呼んだ。救急車に乗り、病院へ搬送するわけだが、受け入れ拒否もあり、時間を取られたという。その後、やっと見つかった病院へ搬送されたものの、その病院での対応も決して満足の行くものでは無かったと奥さんは悔やむ。掛かりつけの病院に自分で連れてゆけば良かったと。友人は連絡を受けて、寝ずに高速道路を使って、帰ってきている最中、山口県内で子供が亡くなったことを聞いたという。その思いを慮ることなど、奥さんを除けば誰にも出来る事では無い。

通夜の席で友人の祖父がボソリと我々を前して呟いた。

「あの子は運が無かったんじゃね・・・」


それはそれは悲しい言葉だと思った。最愛の曾孫を失った悲しみは如何ばかりかと思うが、「運が無かった」と思わねばやり切れない。友人夫婦に投げかけられた言葉でも無かったかと思う。

しかし、若い命が失われた事は事実である。今はただ、冥福を祈るのみ。死後の世界があるというなら、せめて、幸せになって欲しい。



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周辺雑記・日記 | 【2006-02-23(Thu) 01:27:30】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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