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つっちー

主筆:つっちー
九州方面某田舎在住。
三十路男。偏屈。理屈屋。
人生ザッピング。
最近、妻に逃げられました(マジ)。

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萌える人もいるのか?・・・(背毛について)
今日は物凄く下らない話である(いつもくだらない話しか書いてないわけだがさらに輪を掛けて下らない話だ)。背毛(せなげ)という言葉は多分、辞書には載っていない。私の造語である(と思う。調べてないから)。それは何か?というと、うなじのやや下方、背中の上部に薄っすらとあるいは、やや濃く、生えている毛の事である。個人差はあるだろうが、欧米人男性に良く見られる特徴だと思う。

で、この背毛。女性でも生えている人が居るのである。男女の差や他の部位の毛深さには関係無くである。他人の裸など、たとえ、同性であっても、それほどの数見たわけでもないし、異性に関してはさらに少ないので、統計サンプルとしては心元無いが、これまでの経験上はそうなのである。準備万端整えて「いざ、鎌倉!」とばかりに夜の営みに励まんとした時に(形容が古いな)、背毛が生えているのを目撃した時に果たして好きな異性でも萌えられるのかとヒゲを剃っている時にふと思ったわけである。

私はヒゲがかなり濃い方なので(というか、体毛も結構濃い。通称・ギャランドゥーも強烈なな感じで女性受けはすこぶる悪い)、二日も剃らねば微妙な不精ヒゲになり、四、五日剃らねば見事な無精ヒゲとなり、若手の間で流行っている無精ヒゲとは比べ物にならぬほどに(そういえば、小学校の時、好きだった女の子が給食の時の牛乳を飲んで、鼻下の産毛が濃かったのか、ヒゲ剃り後の如く、白くなっているのを見て、物凄くヘコんだ憶えがある)、みすぼらしいさまになるので、ヒゲ剃り用の剃刀には結構気を使っているし、相当な種類を保有しているのだけれども、どう考えても背毛を自分で剃るのは、不可能であると思い至った。ヨガをやっている人でも厳しいのでは無いか?と思われるほど無理な体勢で剃らねばならない。何度かの同棲生活や結婚生活は送ったけれども、どの女性も手足、脇などなどの無駄毛処理はそれぞれでされていたようだけれども、背毛処理をしている女性は知らない。二人ほど結構見事な背毛を生やした女性にお目に掛かったが、気にしていないのか、気づいていないのか、意識して何もしていなかったのか、全く何かの処理をした形跡が無かったように思う。それとも、私が気付いていないだけで、本当は各々で何か対応策があるのか?または、私が出会った女性が希少なのか?とも考えたが、到底、方法が思い浮かばないし、どうも納得がいかない。または、ある種の男性は背毛にセックスアピールを感じるのか?とも思う。毛深い男性が好きだ!という女性も少なからず居るという話だ。

「背毛萌えーーー!!!」


という男性が居ても不思議ではない。ただ、私は正直萎える。出力二割減の様相である。かくして、ヒゲ剃りをしながら考えては見たものの、全ては謎のまま、堂々巡りになってしまう。誰か正しい答えを教えて貰えないかなと思って、書いてみたのだ。是非、この「背毛」について、男女を問わず、ご教授いただければと思う次第である。


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周辺雑記・日記 | 【2006-01-30(Mon) 23:54:49】 | Trackback:(0) | Comments:(1)
早朝の時間帯・・・(早起きの苦悩)
元来、宵っ張りの方ではあった。二十代前半の頃など、夜が白むまで起きていた記憶があるが、今は体が持たないこともあって、それほど起きていることが少なくなったような気がする。その代わりというわけではないが、今年に入って「早寝早起」を心掛けている。それも、夜は九時頃には寝てしまい、朝は二時、三時には起きるというお年寄りのような生活パターンを心掛けて作ろうとしている。

近頃、私を含めて家族の生活リズムが全く揃わない。弟、私、母の順で家を出るし、帰ってくるのは、私、母、弟の順。しかも、時間は日によってマチマチで、私以外は何時に帰ってくるのか、その日にならなければ解からない。時期的な忙しさもあって、その生活が続いている。お陰で、朝、夕の食事と弁当が必要な場合は弁当まで、私が作る羽目になっているし、部屋の掃除や洗濯も、ほぼ私一人の担当になっている。格別に嫌だとは思わないが、二時、三時に寝て、八時頃起きて出勤するのでは、どう考えても家事が間に合わないのだ。仕方なく、生活リズムをシフトした。前にも、数度試したことがあったので、格別問題無く移行することは出来たが、別の問題が発生するのである。

一月になると学校に寄っては、卒業前に学校に行かなくなる時期になる。登校日に学校に行けば、後は家に居てよいという事なのだが、お陰で早朝という時間帯まで、近所のガキどもがバイクを走らせたり、我が家近くの空き地に集合して、何かしているのである。家々の間に畑や田んぼがあるほどの田舎の事である。バイクで走るのに丁度良い峠道までのほんの数分で行く事が出来る。大変な片田舎なのである。東京都内のように、遊びに行く場所がそこかしこにあるわけでは無い。ただ意味も無く昆虫の如くに明りにたむろっているのだ。夜中から早朝にかけての時間帯、車どおりもほとんど無くなり、起きているのは、犬とガキどもと私のみ・・・。とにかくウルサイのだ。大人げ無いと言われるかも知れないけれども、我慢には限度がある。今日はついにキレた。

「やかましいぞ。ボケェ。何時やと思っとるんじゃ。コラァ」


穏便に事を済ませようとした。私にガキども曰く、

「あんたのとこの土地なのここ?」
「違うよ。」
「じゃ、良いじゃん。別に」
「良くねえ。うるさいって言ってるの。時間考えろ」
「関係ないでしょ?」
「関係無い・・・?」

ここで、我慢の限界が来た。スクーターに跨って反論してきたガキにケリを入れて、隣にいたこっちを睨み返してきたガキには、反省パンチを腹部に見舞っておいた。反撃してくるかと思ったら反撃は無かった。散り散りになって、何処かへ行った。「今度やったら、この位じゃ、すまねえぞ」と忠告までしてあげておいた。

その後、家族を送り出し玄関前を掃除していた所、道向かいの家のご主人から声を掛けられた。

「朝、そこで、中学生と話してたでしょ?」
「ええ、うるさかったんで。」
「良く出来るよね。何されるか解からないのに・・・」
「中高生ですよ?」
「最近、多いじゃないですか。そういう事件」

「これじゃ駄目だな」と思う。前にも何度か書いたが、子供のしつけを学校に任せてしまう風潮もおかしいと思うし、昨今の子供たちに対する大人の接し方には問題があるように思っている。叱ってやらねば解からぬこともあるはずだ。少しウルサイのを我慢しておれば良いのかも知れないけれど、我慢する事と道理を教えない事とは同じではない。そもそも、その子らの親はその時間に我が子が家に居ない事を何とも思わないというのが不思議だ。大学生や社会人では無いのだ。自己責任と言いながら、彼らの行いはすなわち親の責任となる年齢でもある。しかし、彼らの親が子供らの行動に対して、責任をおう覚悟があっての放任ではないように思える。実際に責任をおうつもりなら、そんな時間の外出を許可するとは思えない。

いずれにせよ。そのガキどもが今後はそういったバカな行動をとらない事を願う。少しだけでも解かってくれればとは思う。「何故怒られたか?」だけでも考えてくれたら早朝から出て行った意味があると思うのだが。


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周辺雑記・日記 | 【2006-01-29(Sun) 09:10:49】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
認めるか、認めないか・・・(違法行為後の会見)
企業の経営者など、パブリックな色合いの強い人々が経済事件などの社会的な意味合いの強い事件を起こすと、一般人の事件とは異なり、会見を行なう事が多い。「記者会見」「釈明会見」などと言われるものがそれで、例えば、ここ最近の話題をさらっている「構造計算書偽造事件」「ライブドア事件」などでも、当事者、関係者、被害者など多くの人が会見を開いた。無論、マスコミの取材だけでは核心部分が明白にならない場合もあって、事実をいくら積み上げたところで、真実にはたどり着けない場合もあるわけで、その真実を知るためには、当事者の発言以外にはありえない。「構造計算書偽造問題」では、ヒューザーの小嶋氏、イーホームズの藤田氏などの当事者も会見を開いたし、「ライブドア事件」でも、堀江氏も会見を開き、一昨日、昨日と新社長の会見なども行なわれている。

「会見」というのは、見ていると人それぞれの色が見える。そもそも、芸能人でもない人間が、多くの人の前で何かをするというのは通常の状態ではないので(芸能人であっても通常とは言いがたいだろうけど)、隠し切れない何かが見え隠れする気がして嫌いではない。国会の代表質問とか、答弁も同様のことが言える。彼らもある意味で芸能人以上に人前で喋る事のプロであるわけだが、そんな彼らでさえも十人十色という印象がある。個人的な意見ではあるが、現在の官房長官の安部晋三氏の定例会見はあまり見ていて面白くない。直近で見事だと思ったのは、福田康夫氏が官房長官時に行なっていた定例会見の様子だ。飄々とした様子で喋りながら、とぼけた味わいのようなものが見えて、裏がありそうな雰囲気をかもしながらも記者の質問を切り抜ける様子など見ごたえがあった。アメリカでも大統領や国務長官の定例会見はテレビでも中継されているが、なかなかウィットに富んだ演出があったりとなかなかに面白いものではある。「小泉劇場」などという言葉も生まれ、流行語大賞にも選ばれている。演出部分を担当する人が小泉首相以外にも出てこないかと思いながら見ているわけだ。そういう見方もお勧めだ。

・・・というか、話が逸れた。で、そんな最近、よくニュースなどでも、会見の様子を見るようになったところで、昨日の出てきたニュースで「東横イン違法改築」の報が流れていて、社長の会見の様子が流れていた。見事な開き直りっぷりと放言ぶりに呆れる前に爆笑してしまった。前述の「構造計算書偽造問題」の当事者たちも、「ライブドア事件」の堀江氏も徹底抗戦の構えで「容疑否認」の方向だし、責任の所在が自分に無い事を話し続けたが、東横イン・社長の西田憲正氏は昨日の会見で

「悪い事をしました。すいませんでした。」


といきなりの謝罪から入った。その口調もなんとも注意を受けての小学生の反応と変わらぬ開き直りぶり。正直言って、あの申し訳無いという気持ちなど欠片も無いくせに、関係者や責任者が立ち上がって頭を下げる姿のうそ臭さが胸くそ悪くて仕方が無いので、それよりは余程に"正直で宜しい"という気分になった。そういう人も他にも居るのではないかと思える。確かに、褒められた態度ではないし、違法なことを行なったのだから、責任は十分に取らなければ成らないだろうけれど、あの会見の様子すら、微妙な興味を持って見てしまうという所が正常では無いのだと思う。どれだけ世の中に、心のこもらぬ形だけの謝罪や見苦しい会見が多く転がっているのかという事の証明に他ならない。

もう何年も前になるが「誠意」という言葉が流行った憶えがある。使いやすい言葉ではあるが、この言葉に準じる事は難しいことだと私は思っている。最近よく言われる「倫理的責任」「道義的責任」などという言葉を改めて、口に出さねばならないのは「誠意」の不足なのでは無いかと思うのだ。政治家であろうと、企業家であろうとも、いち労働者であろうとも、そこには相手を慮っての「誠意」が不足しているように思えてならない。薄れてゆく日本人特有の心意気が見える気がする。


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時事問題 | 【2006-01-28(Sat) 12:20:21】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
一周年だった・・・(今年も書けるかな?)
ふと思い立って、昨年の一月にBlog形式へと移行して、書き始めたことを思い出して調べてみたら、去年の一月十三日に書き始めていたので、Blogとして書き始めて一年が過ぎた事になる。前に全く違うところで書いていた日記は数年続いた事もあったから、それを思えば長さは問題にはならないのだけれども、何となく、今日も今日とて、書いている事に驚く。多くの皆様に訪問いただき、日記才人の投票も頂いた。本当にありがとうございましたとお礼を言ってみる。

書けないというのは、書く事が無いというよりは、書いている暇が無い時期が出来てくるし、ふらふらと旅行したり、海外へ出掛けたりという事がこれまではあったので、書けなくなることが結構あったのだけれども、今回はどういうわけか続いている。歳かなと思わないでもない。確かに、若さを失っているつもりは無いが、二十代前半の頃の元気とか、良い意味での無謀さみたいなモノは失いつつあるのかなと思う。一般的には、成長したという言い方をするけれど、必ずしも成長とは言えないような気がする。明らかに今よりも根気強く物事に取り組んでいただろうし、何かを成したいという情熱もまた今より強かったようには思う。

今も日々何かに取り組んでいるつもりではあるが、「無理と無謀の境目」が限りなく"無理"の方へ振れている気がして、自分が小さくなっているような気分もする。これは私の個人的な気分ではなくて、多分同年代の多くの人が多かれ少なかれ抱いている気持ちなんじゃないかなとも思う。そういう歳なんだろう。

そんな中で、いちの友人として、真っ先に名を挙げるであろう友人が、今年の四月には海外に出る。同じ歳の彼の挑戦を応援もするし、頑張れと思う気持ちもあるけれど、ちょっと羨ましかったりもする。昔から、風変わりな男ではあったけれど、日本にある色々なモノを捨てて、海外へ飛び出してゆく彼が眩しい。そこまで思い切れない自分に忸怩たる思いもする。

一周年を思い出した日はそんな事を思った。来年もし、二周年が書けるなら、その時にもっと大きく踏み出している様子について書ければ良いなとも思う。環境も変わり、人も変わり、一人にはなったけれど、後戻りすることはしたくない。今日よりも一歩前に進んだ自分が来年には居る事を期待する。


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周辺雑記・日記 | 【2006-01-27(Fri) 10:18:53】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
世に問う日々・・・(家族に起きた不幸について)
子供好きを公言してはばからない。子供にもそれほど嫌われるほうでも無いとは思う。友達の子供に泣かれた時などは、結構なショックを受ける。"子供に嫌われる/嫌われない"というのは、人を見る時の判断基準の一つにもなる。無論、嫌われないに越した事は無い。

何度か「はてなダイアリー」では書いているが、自分の子供は居ない。正直、子供が欲しいと思った事は幾度と無くあるが、それは私自身の身体問題であったり、相手側の身体問題であったり、タイミングであったり。理由は色々であろうけれども、自分自身の子供を持った事が無い。過去には、結婚相手が子持ち(妥当な言い方が見つからないが)であった事があって、父親となったことはあるが、年齢的に既に高校生だったから、幼児養育の苦労など全く無かった。それどころか、自分が高校生だった時と比較してその差異に驚いた位にモノである。

私の親戚を考えてみる。元々親戚というのが少ない家なのだけれども、その中でも、私の同世代の人数は4人程度。相応の年齢には達しているものの私と従兄弟の一人は全くそういった気配が無いということで、私の祖父母、母親の世代から、「孫」待望論が聞かれて久しい。子供とはまた違った意味で、楽しみであるらしく、「いつになることやら」と正月に親戚一同が会した席でも、ため息交じりに言われておった。

そんな時、弟嫁「懐妊」の報が流れて、親戚中が狂喜乱舞。まだまだ先の話でもあるのに、早くも産着やら子供服やらを買いに行く人まで出る始末である。確かにめでたいことだが、早過ぎないかと思わないでもない。妻に逃げられたばかりでそれどころではない私の身にもなれとも思う。そういったわけで、リアルな世界ではそういった祝い事もあって、家族中が大混乱しており、弟の変わりに色々と手続きの手伝いなども行なわねばならず(弟が現在仕事で家に居ないので)、忙しい日々を過ごしていた。

ここまではよろしい。まことにめでたいわけだが、この話は急転直下、家族中を奈落の底に突き落とす事態に陥る。某日、弟夫婦が、病院から帰ってきてのこと、実に暗い顔のまま何も話さずに家を出ていった。それからも会話する機会も無く、「何かあったのか?」といぶかしんでいた所が、胎児に異常が見つかったということで、大学病院やら、有名な産院やらを山の如くまわったが、五体満足で出生する可能性が無いということが判明する。泣き喚き、騒ぎ、呆然・・・。そういった混沌というか、混乱というか明けぬ日々が続き、結局は家族会議の結果ならびに、当人たちの意思をもって、手術を行なう事と相成った。

こんな時にかける言葉の一つも見つからぬ自分の無能さであるとか、何一つ力になってやれない無力さであるとか、そういったことがグルグルと頭の中を回っている内に久しぶりに猛烈な鬱に入ってしまって、抗鬱剤と眠剤に頼っていた。なにやらギクシャクとした雰囲気は未だに拭い切れず、弟夫婦の仲も最悪なのである。どちらからも別々に話をしてくるわけだが、いかんせん、三度も結婚に失敗して、今度も妻に逃げられたばかりの自分に何が言えるのか。何が出来るのか。ただただ、呆然と「無理するな」とか「よく話し合って」とか、月並みどころか、小学生の作文にも出てきそうにない無意味な言葉しかかけてやれない。

彼らは何か悪い事をしたのだろうか。「神」が居るというならば、思いの外、残酷な性質のものだなと改めて思った。



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周辺雑記・日記 | 【2006-01-27(Fri) 02:04:31】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
移行二日目・・・(構造計算書偽造問題について)
昨日はライブドア事件について、少し書いた。今日は、今月のニュースの話題を二分したもう一つの事件。「構造計算書偽装問題」について。

物事にプライオリティー(重要度、優先度)を付けて考えるというのは、重要な事なのだけれども、今回の事件で最もプライオリティーが高いのは、無論、住民の方々の今後なのだと思う。前にここに書いたが、自己責任が言われている社会の中で、購入者側には一切責任が無いという論には、ほんの少しだけ疑問符は残るわけで、その点に付いても購入者側責任を考えるべき点はあるとは思うものの、地震を予知する事もコントロールする事も出来ない以上は、現在ある"倒壊する可能性の高いマンション"に今も居住している人をどうするのか?とそのマンションの近隣住民はどうするのか?についての議論が早々にされるべきではあろうと思う。この場合、そのマンションの居住者以上に迷惑なのは、そのマンションが倒壊したときに影響を受けた周辺住民の方々であるという点に関心が薄いが、彼らは本当に大迷惑で、火事の類焼で焼け出されるのと全く変わらないのだ。しかも、その彼らに対しての保障など現状では出来ないと思われる。大迷惑である。

今回の問題での責任の所在について考えるに、

設計者・販売会社>検査機関>施工業者


であると見る。そもそも、作ろうとした人間が最も悪い。これは、無論、今回で言うなら、ヒューザーの小嶋氏であり、どのような理由があるにせよ問題があると解かっていながら指示し、指揮した事は最も罪が重いと見る。次に、その設計を引き受けた設計会社の責任も同罪だ。彼らが、公的な資格である所の「一級建築士」であったことに大きな問題がある。弁護士や検事が犯罪を犯せば通常よりも当然に罪は重くなる。警察官が起こした事件についても同様のことが言える(業務上の過失であったりの場合は関係無いかもしれぬが)。「一級建築士」という資格をもっている以上は「建築、建設に関わる事象のスペシャリスト」である事を表立って表明しているということだ。知識と技術だけでなく、そこには「職業人」としての倫理観は必要不可欠なモノではあろうとも思う。それもあっての資格ではあろう。その点で、どのような無理な依頼であっても、それが違法であるならば、引き受けるべきでは無かったと思う。

次に、検査機関の責任。これは、無論、一目で解かると酷評された偽造設計をスルーしてしまったことに問題がある。検査をパスする事が義務付けられている現在では、そこに大きな金脈があるように思うが、検査機関がザルのごとくに素通り出来るなら、そこに存在意義は無い。無駄な工程だと言える。政府認定機関であったことから、国や行政に責任を求める声もあるが、それもまた、おかしな話で確かに許認可したという事実はあるが、実際に見逃したのは、当人なのであって、責を負うべきは当人であるとも思われる。

同様に、建築の現場に居る知人と話す機会があったけれども、彼ら曰く「手抜きの無い建物など存在しないと言って良い」というのが現場で作業している人々の共通認識と言って良い。それを「是」としてきた事には問題は無いのかとも問いたい気がする。基準値を正しく守り、設計された建物でさえ、手抜きをされれば「机上の空論」であるのに、「机上の空論」にすらなっていないモノを手抜きすれば、それは「ありえないもの」になる。無論、造っている最中に気付く事とてあったに違いないのだが、そこからの意見や声は全くと言ってよいほど出ては来ない。そこに施工業者の罪がある。

国会の証人喚問は詳細に見たわけではないが、

「発言を控えさせていただきます」


を連発して、とても「証人喚問」の態をなしていなかった様子。それも十分に彼が罪を認識していながらも逃げようとする様子に他ならない。



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時事問題 | 【2006-01-27(Fri) 01:46:05】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
移行一日目・・・(まずは、ライブドア事件)
で、結局は、こちらで一年ほど書いては見たのだけれど、最近、安定性に欠けるような気がして、いくつか見てみた所で、FC2へ移行。前から気になってはいたのです。愛読のBlog「世直しいたします」が使ってるからというのもあるしね。「はてな」の提供するサービス群を否定するつもりも無いし、凄いなとも思うのだけれど、自分にとっての使い勝手が段々と悪くなってきている所もあって、今回は乗り換え。トラックバックやら、コメントやらの類。他Blogの引用の問題もあるだろうから、「はてなダイアリー」で書いた分はそのまま置いてきた。少しずつ、こちらにも移行はする予定で。

で、近頃、なかなか書けなかったのは、仕事の忙しさも確かにあったのだけれど、それだけではなくて、連日報道されている「ライブドア事件」の影響を少しは受けたというのもある。微々たるモノではあるが、株式投資を行なっている人の多くは多かれ少なかれ、今回の騒動の影響は受けたと思うし、ほとんどの人にとってそれは歓迎すべきモノではなかったはず。人によってはかなりの損害を出したとも聞く。実際、私も株主なのである。まだ、売ってないけど。というか、売る気が無かった。含み損は出ているが、ほって置いても紙くずにはならないと思う。今、売りに出しても売れないだろうし。

ニュース番組などで、インタビューを受けるデイトレーダが意外に冷静に物事の推移を観ているというのも感じた。てっきり、家宅捜索が報道された時の如く、彼らに道義的な責任を問うようなVTRを作ってくるかと思っていた。例えば、「ライブドア事件で二度と立ち上がれないぐらい損をした」と言いながら、嘆く人の映像とか。実際には、いち民間企業の事件で東証がストップした事への懸念の方が余程問題なのは言うまでも無い事なので、早々にその方面へと話題をシフトしたのはまあよろしい。実際、逮捕前にあたかも逮捕されたが如くの報道が各局でされていたという気もする。報道は事実を報道するべきで、論調も含めて、出来るだけフェアであるべきだとも思う。ニュースショーでは、その情報を受けて、コメンテータとして出演するジャーナリストやら、評論家がそれぞれの色を出してコメントすればよろしいのであって、新聞各社までも憶測交えたような偏向報道一歩手前に陥っている姿はあまり見好いモノでは無かったと感じる。

罪は罪であるから、償わねばならない(というか、その罪についてもまだ詳細部分について、合法なのか、違法なのかについて曖昧だが)のだけれど、他の粉飾決算事例などと比較して、それほど特殊な大きさを持った事件という印象は受けない。その点に言及する人が少ないような気がする。直近の経済事件で大きな事件というと"カネボウ"だけれど、その粉飾期間と額はライブドアの比では無い。しかし、事件が風化するのは思いの外早く、今回も引き合いに出す人は少ない。額の大小では無いだろうとは思うが、その辺が堀江容疑者に対する社会の目かなと思わないでも無い。それはある種の偏向を含んでいるのでは無いかと思える。

堀江容疑者が言っている事の全てが正しいとは私も思わないが、彼の言っていることが間違っていない事も多い。というか、テレビで「お金で何でも出来る」的な発言をした部分が取り沙汰されているが、それとても完全な間違いでは無い。確かに、買える命だって無い事は無い。助かるはずの病気なのに十分な医療が受けられなくて命を落としたら、それはお金で解決できる問題だし、人が生まれながらに平等で無いことなど、ある程度の歳になれば誰でも解かる現実だ。自分が一度も他者を羨んだことのない人間などまず居ないだろうし、裕福な家庭に生まれた人間と貧しい家庭に生まれた人間のアドバンテージは単純に同じ事をしていても取り戻せるモノでは無い。彼の出自になど興味は無いが、真理を突いている部分も無い事は無かった。それは思う。その点に対して、なんら言及する人が居ないことの方が健全ではない。

また、現在開催中の国会でも今回の件を受けて、自民党糾弾の動きがあるが、はっきり言って、彼が事件を起こした事と立候補した事に何の関係も無い。野党が何か口実を見つけたい気持ちは前回の総選挙の惨敗を見れば致し方無い事なのかもしれないが、言いがかりに近い。そんな事をしている暇があるなら、他に検証するべき問題、議論するべき問題は山積みだ。さっさと例のマンションに住んでいる住人のことでも考えてあげれば良いと思う。堀江容疑者が保釈されようが、刑務所に入ろうが、明日地震が起きたとき、彼らはほぼ確実にマンションに潰される事が解かっているのだ、その方が余程に現実的な問題だといわねばならない。

あらゆるメディアでこの事件が大きく取り沙汰されている「そろそろいいんじゃ無いの?」と思わないでも無い。「いい加減に飽きた」と思っているのは、私だけじゃないはずだ。



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時事問題 | 【2006-01-26(Thu) 15:09:01】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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